march 6th

書けることは無限にあってそのどれにも追いつけない気がする。
そしてそのどれもこのダイナミックさを前にしてはスゥッと溶けてく。
こんな時、歌が一番 近い。
朝、林檎を切る
むしょうにリンゴが食べたくなって、青森産の王林を買った。
二つのリンゴがけっこう分厚い透明ビニール素材にくるまれていた。
無農薬で、野生の味がなんとか、って書いてある。
ビニールをはがしたら、たしかにふわっといいにおいがして
青森のおじいちゃんの家を思い出す。
だけど、二つのリンゴの間には、鮮度保持剤がはさまれていた。
ちょっとびっくりした。あらゆるものについているものだけど、
リンゴについているのは初めて見た気がする。
ただちょっと、ドキッとした。
肌を美しくするために美容液や高級クリームやらを使いすぎていると
肌が甘えてしまう、という話はよく聞くが、
リンゴですらこんなにヤワになってるのかっ、と反射的に思ってしまう。
無農薬だからこそ、そういう外付けのものでおぎなう必要があったのかもしれないし、
そういうことなら、本当に無農薬だと逆に信頼できるということかもしれない。
でも本当はもうよくわからない。どこからどこまで無農薬だとか。
同じ野菜でも、今では、含まれるビタミンやミネラルの量が昔と比べ減少しているらしい。
その野菜や果物本来のパワーが失われてきてるのだ。
と同時に、それを食べる人間のパワーも減っていく。
それと、皮を剥かないでも食べられる食材のリンゴを一個いただくのに、
燃えるゴミと燃えないゴミが出てしまうのも、なんかちょっと。
無農薬のために、鮮度保持のために?
A.P.C.
Edと新藤夫妻と一緒に、zeppでA.P.C.のライブ。
なんなんだろう、骨格の違いなんだろうか、骨にくるドラム。
あんなに直撃なドラムに触れたのはひさしぶり。
メイナードさんはずっとスタージ上の暗がりにいて、
演出だと思っていつ出てくるのかなぁと思っていたけれど最後まで暗がりにいた。やっぱりヘンな人…。
Jamesは長旅で世界のどこにいるんだかわからなくなってる感じだったけど、がんばってた。うたも歌ったし。これから続けて五日間だいじょうぶかなぁ。
帰りに築地でお寿司。
また「安上がりな子…」と言われてしまう。
だって納豆巻きが大好きなんだもの。
最近茶碗蒸しの銀杏がやけに美味しいのは大人の味覚になってきたのかしら。
静
60歳をむかえた加藤登紀子さんのインタビューを観た。
休業、獄中の旦那様との結婚、出産、育児を経て、
「身体が歌いたがってる」
という衝動が初めて沸き上がってきた、ということを語っていた。
早く歳を重ねていろいろなことを通り抜けたい、と思った。
あっという間に歳とっちゃえばいいのに、と思うことがある。
これから起こる、長い目で見たら些細なことに
ものすごく悩まされたりふさぎ込んだりするのが面倒くさくなるのだ。
もちろんその中にこそ、
今の想像を超えるくらいの楽しみや歓びがあることも頭では分かっている。
だけど、修羅場や感情が激しく揺さぶられること、
そういうことよりも安らかにずっと暮らしたいなぁと思う。
ネガティブなわけじゃない。おばさんの思考なわけでもない。
ただ 静けさを求めてる。
若い自分が恥ずかしく、目先のことにまどわされる自分がもどかしいので、
早く自分の母親や周りの素晴らしい女性達のように熟練したい。
そのいろいろ、を通り抜けなければそうなれないこともわかっているんだけど。
ある夜
ジェームス・イハがパーフェクトサークルで来日。
その晩lotusの2階でちょっとしたパーティ。
エドがDJの最後に6年前のジェームスのソロをかける。
瞬間、ふと周りの空気がコットンみたいにふわっとする。
人を、素にさせ、無理のない状態に持っていく。
優しい声、メロディー。自分ちの地下で録ったという。
ジェームスは柔らかなこの声、そのままの人。
とってもシャイ。口数は少なく、じっくりと耳を傾ける。
タクヤ、ジュンジ、エドとそのまま下でお茶。
一番感じの良い店員さんはかわいいアニメ声。
四文字熟語の心理テストでずいぶん長いこと盛り上がる。
パッと出てきた2つの四文字熟語は、悲しいことに、疑心暗鬼に弱肉強食。
(それが何を表すかは書かなーい)
帰りにコンビニに立ち寄った。
店員のお兄さんは手が空いているからといってカウンターでvowをめくってニヤリを噛み殺していた。それを目撃してしまった私にもニヤリが伝染したけれど、見て見ぬふりをした。お客がいると分かると慌ててお兄さんはvowを置き、レジの前に立つ。ふと名札が目に入った。3つほどの漢字が合体していて読めない漢字の名前だった。「853円です」と言ったので千円札と3円を取り出したのに、レジを見ると835円だった。「あ、835円ですよね」と確かめたら、今言ったばかりじゃないかというように「そうですよ」と言い、言い間違いには全く気づいていないようだったので、取り出していた3円に黙って2円を足した。
少しずつズレていて、なにかよくわからないけど、可笑しい。
夜中だからなのか。
痣
今、右足の脛に大きくて痛々しい痣がある。
ほれぼれとするような模範的で立派な痣です。
他人の目の前で転ぶことは多々あるのに、目の前で転ぶ人を見ることは滅多にない。
幸い、今回の痣は家で一人の時についたもの。
ある午後、ベッドのフレームが、突然ぶつかってきたのです。
私の中で転びキャラといったら、兄の風太。
物心ついたころから、兄はあらゆる物に躓き、ぶつけていた。
「風ちゃん、転ばないでね」と言われ続け、
大人の男の人になった今も、何もない道で 躓いている。
そして姉のような友人 あんじ。
忘れもしない5、6年前の年末。
夕方、あんじ達と友人のライブを観るためドームに向かっていた時、
ヒールの靴を履いていた彼女は遊園地の前で派手に転び、
それはそれは鮮やかな痣をこしらえ、
その次の日も痛むので調べたら肋骨にヒビまで入っていたらしい。
そう、転ぶ・つまずくといったら兄やあんじであって、
私のキャラじゃないはずなのに‥‥なのに雨や雪の日になると、
マネージャーや親しい友人達から来るメールの最後には必ず
「転ばないでね」 あるいは 「すべらないでね」
と付け加えられているのは何故なんだろう。
でもいいの、ナオミキャンベルだってランウェイで転んだのだし。
交差
同じことを、いつも思う。
例えばANDY WARHOLとかANTONIO CARLOS JOBIMとか。
今は居ない著名な人は自分が生まれてくるずっと前の世代な人だと思い込んでしまっている。
それは学校やいろいろな場所で学ぶ昔の人のことを、
実在した人としてリアルに感じていないということだろうか。
いつも、○年にこの人は亡くなってしまってたくさんの人が
惜しんだり嘆き悲しんでいたまさにその日に私は何も知らず、
普通にいつもと同じように小学校に行っていたんだろうな、と考える。
ばかばかばか、ぼーーっと生きちゃってばか!と自分を叱る。
今十代半ばの人ならば例えば、
カート・コバーンやダイアナ妃の死は実感として無いかもしれない。
ただ若いということは知らないということなんだから、
しかたがないのかもしれないけど。
だけど例えばもう亡くなってしまった人と個人的にとても親しかった人と
自分が今度は親しくなったりすると、その時間の交差にちょっとめまいがする。
世界ではいつも、自分とは“関係の無いこと”とされていることが起こっていて、
それがある時突然自分にとって重要なこととして巡ってきたりする。
すべてがその可能性を秘めている。
とすると、世界中に存在する、あるいは起こっている全てのことが
“関係のあること”なんじゃないか。
関係ない、なんてありえないんじゃないだろうか。