夕方の雷

うちのちーちゃんは、雷探知機。
人間にはまだ聞こえないくらい遠くても、
同じようなゴロゴロゴロ..という音でも、
トラックが通る音や工事の音とは絶対に聞き違えることがない。
夕食時
突然の 空を割るような雷にビクッとした頃にはもうとっくにちーちゃんは見当たらなくなっていた。
いつも決まってるヒミツの隠れ場は 洗濯機の裏
そぅっと上から覗いてみると 小さく固まって 怯えた顔で上目づかい。
でもしっぽは隠し忘れてる。
まだ明るい空に轟く雷。
激しい音も閃光も 迫力半減で なんとなく空回りしている。
石の旅
昔から惹かれてきた
スワロフスキーのクリスタルガラスやラインストーン
シャンデリア用に作られたクリスタルガラス。
aquadropsの
そのガラス達に加え、
秋冬のシーズンと展示会に向けて、
ニューヨークにいる間 新しい素材を探して歩き回っている。
アンティークのガラスやビーズを扱う小さなお店や
GEM STONEなどを扱う熟練した人々に教えてもらう、
小さな宝物のいろいろなこと...。
ペルービアンカルサイト、ヘマタイト、ローズクォーツ、クリスタルクォーツ..。
石は、ガラスや宝石ほど、反射する光で主張することはないけれど
<地>の重みを指先に伝える。
インドやペルーからやってきた準宝石や天然石などは、
現地の小さな子供達も働いていたのであろう
その旅の過程を想像するとよけいに愛しく、
素敵なaquadropsにしなくては!という責任すら感じる。
誰かの手に渡るまでよろしくおねがいします、という気持ちで
一つ一つ磨いて、キズなどを確かめ眺めていると
微妙に違うカットや模様など、
はっきりと石の表情がみえてくる。
作品が完成するといつも自分用にしたくなっちゃうものだけど
この石達がラインに加わったら
ますます手放しがたくなってしまいそう。
ペルー、インド、メキシコから
ニューヨーク、そして日本へ...。
ミーちゃんinシベリア
ほぼ日に「シベリア鉄道の旅」の日記を連載している。
糸井さんはその最初の原稿を読んで、私の文章は
お母さまの“ミーちゃん日記”に通じる何かがあるなぁ、
と書いてくれていた。
今朝、7時半に起きたので、
ミルクティーをいれ、
朝から集中して原稿を書いていた。
明日更新のシベリア日記を書き終え、
担当の人に送ったら、その返事の中に
「ミーちゃん」の日記にこのシベリア日記のことが
ちょっと登場してるよ、と書いてあったので、
早速読みに行って、感動してしまった。
80歳のミーちゃんも、同じ場所に居たこと、
だけれど、時代の違いから、生々しさが全く違うということ。
私が訪れた場所は、
その背景を実際に生き抜いてきた人々には
全く別の次元の意味を持つ場所だということ。
そういう人も、読んでくれているのだということ。
書いていて、本当によかったと思った。
これだけで、報われた気がした。
「ミーちゃんの縁側。」
http://www.1101.com/engawa/index.html
私の人生の大きなイベントの一つとなったシベリア鉄道の旅。
あれから、一年半も経ってしまったけれど、
一つ一つ、細かく情景を思い出しながら、書いています。
Crewの人が見たら、どう思うかな、
思い出してちょっと笑ってくれるかな、
そうな風に想像しながら。
そして、マネージャーの、
「ちょっとー!食べ物のとこにしか出てこないんだけど私!やめてよーぉ!」
というクレームを受けながら。
「シベリア鉄道の旅」
http://www.1101.com/miu/index.html
観察 弍
向かいの席で友達に囲まれていた女の子を見て、
彼女にとても似ていた高校の同級生の事を思い出した。
EMILYという優しく素朴な乙女顔の子。
いつも、ほっぺたがチークなしでものすごくピンクだった。
そしてほぼ同時に思い出した、LIZという小柄でクールな感じの女の子。
二人ともモテたのには違いないのに、
ふらふらしている所を一回も見たことがなく、賢くて、見ていて気持ち良かった。
街で偶然会えたら うれしいな、いつか。
スープに胃をあたためられ
ぼけーーーっとし終わったところで 陽が眩しい 外の世界へ出ると
ベンチのところにいた大きな犬がくるっと振り向き、私の手のにおいを確かめた。
店員さん達や常連客から「Hi, Moose!」
「Is this Moose or Goose?」なんて言われている。
どうやら、ムース と グースという、
犬らしからぬ名前を付けられているラブラドール2匹のうち一匹だったらしい。
観察

あっつい午後に 麦わら帽子を脱いで
さらに熱い クラシック・ベジタブルスープ。
うらぶれたトム・ヨークみたいな店員さんが
(いや、トム・ヨーク本人、充分うらぶれているとは思うんだけど・・・)
休憩時間なのか、アイスラテを片手にテーブルのそばを通り過ぎ
うらぶれているくせに どこか人間としてきちんとしているような
このカフェでの仕事に誇りを持っているような空気に惹かれ
なんとなく目で追ってしまう。
斜め左の席で女友達とお茶していた女の子があまりにも綺麗なので、
彼女の細い首のあたりに穴が空きそうなくらい見つめてしまった。
あ、このヒトも薄いキャミソールの背中がキレイ
あのヒトもかわいいな...。
ぼーーーっと しながら
美しい人がいっぱいいるなぁ.,と思う。
美しさは、造型のことは もちろんあるけれど、
違う何か
そこには自分の身体を愛することや
シワを気にせず笑うことや
ビーチサンダルと "締め付けない下着" で楽に息をすること
スッッと延びた背中や
キュッとポニーテールをした小柄な女性の手に大きなレモネード
そういうこと。
HOME

3ヶ月ぶりのニューヨーク。
真夏の日差が肌にじりじりと染み入る。
うちの横の 長いこと空き地だった敷地には
ベージュ色の高いビルが
もう半分くらい出来上がっていて
うちに入り込むはずのオレンジ色の夕陽をさえぎっていた。
ドアの前の植物達は濃い緑色を放ち
背の高い食器棚の上に置かれたポトスは
いつのまにかその手を 私の右手と握手するように伸ばしていた
そして
オリーブだけで10種類以上も並んでいて
試食して選ぶのが楽しみだった スーパーマーケットが
がらんと 空洞になっていた
ニューヨークに帰ってくる度に
毎回そんな風に 数カ月の時を知る。
愛される場所

ここを訪れる一人一人が、このカフェを愛しているのだと解る。
一番好きで、一番仲良い人とここに来て、
何時間も喋っていたい。
そういう場所。
結婚して何年たっても
土曜日のブランチは必ず、ここ。
赤茶色のレンガの壁を支えているのは、その愛だ。
タビのメッセージ。
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私がちょっとパソコンを離れたスキにタビちゃんが残していったメッセージ。
誰か暗号解読できますか?
実のる花。
わたしの部屋の壁には
実花ちゃんの独特の色彩な花達が飾られている。
写真を貼った途端、部屋が華やいだのをよく覚えている。
今日8/1から、蜷川実花ちゃんの展覧会”Acid bloom”。
二つの会場で実花ちゃんの花々が満開。
Nadiff(http://www.nadiff.com)と、
Rocket(http://www.rocket-jp.com)にて。
<http://ninamika.com>
実花ちゃん、また「花展」やりたいなぁ。
書くということ
少し前に、執筆を仕事とする人としゃべっていて、
毎日ネットなどで日記やエッセイを書いていると
日々のニュースとかについて自分の意見とかを書きたくなるよね、
というようなことを話したことがある。
もちろん、衝動は起こる。
世の中に起こっている恐ろしいことについて知らないはずがない。
戦争についても政治についても殺人についても集団レイプについても...
感情が沸き起こらないはずがない。
だけれど、そのことについて書くこと、発言することは、
私が意識する自分の役割の中には入っていない。
私のこころや頭の中なんて
歪んでいることも暗いことも醜いこともいっぱい入っているけれど
そのような部分を引っ張りだして人々に見せるのは
今の自分の役目ではないと思っている。
ぬかるみの中でそこだけで繋がれる人を求めて安心したり、
自分の意見を声高々に訴えようとしたり、
そんな時もあったけれど、
自分の幼いエゴを晒すことはできればもうしたくないと思う。
わざわざ読みに来てくれる人々の時間とこころを
そんなことで乱したくない。
私には希望があるし、
何度も色々な場所で書いていることだけれど、
ジョビンが生前言った、
“アーティストは世の中にマイナスになるものを生んではいけない”という
信念が、バックボーンになっている。
こうやって今書いていることだってエゴの塊といえばそうかもしれないし、
ある人々にしてみたら“ふざけるな!”っていうことかもしれないし、
何年かたって読み返したら偽善的だと自分で思うかもしれないけれど、
そのことへの責任は充分背負っているつもりだ。
私は、自分が体験することのできなかった、
他の人の大事な美しいものをそっと見せてもらうことが好きだ。
音楽、写真、絵、本、あるいは会話の中でも。
だから自分の表現方法の全ての中で、
できればその人が見ることができなかった景色を
ほんの少しでも分けることができたら、本当にうれしい。
それだけだ。