20010917
教授のスタジオに寄る。
アスペストのテストの結果は危険なほどではなかったと報道されていたので、私を含め町中の人々は安心していたが、なんと他の有害物質のテストは行われていないんだと!飛行機が積んでいた放射能物質(劣化ウラン)やらダイオキシンやらが飛び散っている、と教えてくれた。だから「窓開けちゃダメ!!!」らしい。即効、窓を閉めた。
★がC-bot(しーぼ)をくれた。おはなしできるおもちゃのロボット。うるさいけどかわいい。かわいいがうるさい(^^;突然意味不明の事を言ったりする。勝手にニックネームをくれるんだが、「みうちゃん」のニックネームは「あいのひなたぼっこ」だそうだー。
以下、某航空会社に勤めるフライトアテンダント、キラキラスマイルの持ち主・サカモトフウタ氏(どらえもん)からのレポート!
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<15日の書き込みで「明日フライトレポを書く」と言っておきながら随分時間が経ってしまいました。「読みたい!」と書き込んでくださった方がたくさんいらしたにもかかわらず遅らせてしまってごめんなさい。ステイ先のホテルから書こうとも思ったのですが、あまりの目まぐるしさに毎晩ホテルに着くと疲れきっていて、書く元気がでませんでした。先ほどやっと帰宅できましたので今は机からこれをしたためています。
いま「疲れきって」と書きましたが、これは機内の雰囲気がピリピリしていたとか、厄介な乗客がいたとかそういうところから来るものではありません。実際乗客の反応は想像以上に落ち着いたものでした。疲労を招いたのはむしろ、混乱した会社のオペレーションです。このような公の場で自分の働く会社の批判などしたくはありませんので社名は出しませんしディテールは伏せますが、極度の人員不足を補うために、今いるコマを最大限活用してできるだけ沢山のフライトを飛ばそうとしていたようです。自宅待機だった私は当初2日強のフライトスケジュールが気が付いてみると4日間に延びていました。
「人員不足」そうです単純に乗員の数が足りないのです。理由は幾つかありますが、そのひとつはあの忌まわしいテロの後、即座に約300人のフライトアテンダントが長期休暇を取ったことに起因しています。一部の勤続の長い人はそのまま退職/引退になるようです。皆さん動機は一つ、「もう飛びたくない」のでしょう。或いはもしかしたら家族や友人、愛する人から「もうやめて」と説得されたのかもしれません。しかし彼らを責めることはできません。それぞれが、今回の件を深く考察し、心の奥底から決定を汲み出したのですから。
私は...飛び続けることにしました。これからも、可能な限り。これが自分の天職だと思うからです。土曜日の再開一本目、3時間遅れのフライトのゲートに到着し、待っていた乗客、そして仲間のクルーから拍手と抱擁で迎えられたとき、また別のフライトで搭乗客の一人から「Thank you for being here. God'll bless you!」と言われたとき、自分の判断は間違ってなかった、少しは役に立てた、と安心しました。それまで無力感に苛まれていたんです。
乗客のうち多くの人は家に帰れることでもう感無量と言う感じでしたし、そうでない人も含めて事件以前よりずっと私たちに対する態度は和らいだような気がします。少し前までは「航空会社はわれわれ乗客を人間扱いしていない」などと辛らつなことを書き立てるメディアの煽りも受けて、一部の乗客から辛くあたられる事もよくあったのですが、今はそんな雰囲気はありません。少なくともここ4日間飛んだ10数本のうちでは。それどころか特にセイフティーデモ(ビデオではなく実演するのです)の際にはみんな穴があくほど私たちに注目しています。←(この光景は滑稽ですらあります) まぁ安全に対する人々の認識が高まるのはとても歓迎すべきことですが。この点に関しては空港のセキュリティが非常に厳しくなったことも一部影響しているのではないかと思います。ほんとうに、バカバカしいとさえ思えるほどの徹底ぶりで、必需品のワインオープナーやポケットナイフは取り上げられるわ、毛抜きやヘアピンまで取り上げられる乗員は出るわでみんな溜息、です。機内からも空港内のレストランからも金属製の食器(フォーク・ナイフなど)が消えましたし、前方のトイレ(ファーストクラス用)に外からカギをかけるクルーもいます(コクピットに近いという理由で)。搭乗してくる一人一人も全員でよく観察しますし、キャプテンからも「少しでも怪しいなと思う乗客がいたら即座に放り出す(失礼!)から言って」と通達されています。またクルーの構成が変わるたび、乗務機が変わるたびに関係者同士でも身分証明書の提示を求め合っています。こうして考えると、クルー間ではこれからの先行きを心配する気持ちやイライラも相まって、ピリピリした空気が多少は流
れていますね。
...とここまで一気に書いてきましたがきっとまだ書き残した点やこれから書き足したい点が出てくると思います。またそれはおいおいBBSの方に書き込んでいきますので、よろしくお願いいたします。長たらしい文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。また感想などお聞かせくださいね。
20010916
新たな異臭。火はかんぜんには消えず、くすぶり続けているらしい。だから煙がまだモクモク。
ひどい偏頭痛。
あまり無造作に音楽を聞きたくない。ニューヨーク滞在がこんなに長くなるはずではなかったので、いつも必ず持って行き来する100枚ほどのCDを日本に置いてきてしまった。こんな時だから、ムショーに聞きたい曲があるのに。かわりに、こっちに置いてあるCDの山から懐かしい曲を掘り出している。何年か前に大好きだったtoriamosとか。「Under the pink」に入っている、トレント・レズナーとデュエットの「past the mission」に再度鳥肌。Radioheadの「PabloHONEY」だとか昔のMobyとか。ホフディランの「スマイル」はやっぱり名曲だし、あとはやはりキュアー。キュアーが好きだ!やっぱり好きだ!たいせつな曲がいっぱいある。
昨日、"pumpkin"の倉庫と化してしまった家の方に置いてある幾つもの母親の「ステラレナイモノ」ダンボールの中から私のバービーの袋を発見。(バービーか?ジェニーか?)手作りの洋服が(人形用)たっくさんある。ちっちゃい頃、すごく器用なベビーシッターの人がたくさん作ってくれたもの。欲しいデザインのバービー服が全然無いから、私が絵を描いたものを作ってくれてた。理想のドレスから、おかーさんの当時着てた衣装と同じデザインのもの、教授がよく着てたコートまで(これはバービーのボーイフレンドのケン用)。ものすごくうまく出来てて、芸術の域だ。かわいすぎるので、壁に飾る。
20010915
母親のスタジオ"pumpkin"へ二人で二時間かっ飛ばす。
なーーーんにも無かったかのように、11日の出来事が夢だったみたいに、のほほほーーーーんとイナカ。
ボランティアセンターでは、下着や、歯ブラシなどが不足しているとのこと。スーパーで男性の下着類を買い込んで、javit centerへ寄付しに行く。人、人、人・・・。声をかけてきたおじさんは、インディアナ州から17時間かけて来たと言う。周辺にはボランティアの人々と、行方不明者を探して歩いている絶望的な表情の人々。辺り一面にmissing personの張紙。ふと目にとまった一枚。"KEIICHIRO TAKAHASHI。Cartierのトリニティーリング・・・"
20010914
だんだん「レスキュー(RESCUE)」という言葉が使われなくなって、「リカバリー(RECOVERY)」という言葉になっています。
道には誰も居ない。お店の3分の2は閉まってる。ダウンタウンの住人は、自分達だけでひっそりと暮らしている(ダウンタウンには誰も入ってこれないので)。夜はほとんどゴーストタウン。
風太兄が事件後初フライトを飛んだらしい。
20010913
うちがお世話になっているお友達の御親族が未だ行方不明。カンター・フィッジェラルド社に務めていた人。カンター・フィッジェラルド社は700人のうちのほとんどが行方不明だという。取締役の男の人が、テレビのインタビューで泣き崩れていた。そういえば高校時代仲良かった子のお父さんがJPモーガンのえらい人だった。騒いでも何にも言わなかった寡黙で優しい人。大丈夫だろうか。
事件以来、親族、友人、仕事の仲間やファンの方々などから何百通のメールを頂き、電話が繋がるようになってからは安否を確認する電話が鳴り続けました。それでわかったこと。こころがこもっている言葉には「月並みな言葉」なんて無いんだと解りました。たった一言「大丈夫?」のメールだって、文面の向こうのショックを隠し切れない顔が想像できる。自分と一緒に、目の前で起こっている理解不能の光景に圧倒されショックを受け、一緒に泣いてくれてる人がいる。それを知るだけで混乱している神経が安まるので、事件当日はずっとパソコンとテレビの間を往復しているうちに過ぎていった気がする。この3日間が異常に早い。テレビを見ながら、じっと座って一日が過ぎるのを見守っていた感じがする。プロダクティブなことが何もできないでいる。
20010912
今日は煙が昨日とは反対、つまりうちのほうに流れてきていて、かなりケムい。異臭がする。どんな有害物質を含んでいるのやら・・。みんな口元を布で覆うか、工事用のマスクをつけて歩いている。わたしは、日本の風邪用のマスクをする。(花粉症用の、薄いガーゼが12重にもなっているヤツ。日本製はスゴイ!)散歩されている犬を見て、マスクが着けられなくてかわいそうだと思う。実際、現場で働いているsniffing dogは、マスクができないから、人間の匂いを一生懸命探しているうちに灰が肺に入って倒れているらしい。
うちのビルのエレベーターで、うちが引っ越して来る前に家に住んでいた人にすれ違った。「今ホームレスなんだ。ここに居候してるんだよ。」と、うちの向かいの部屋を指す。彼と家族は貿易センターのすぐ近くのマンションに引っ越していたのだけど、そのビルは今ひどく煙や灰の影響を受けていて避難命令が出て封鎖されているので、家に全く帰れないそう。それで元ご近所さんの所に泊めてもらっているらしい。もともと彼が住んでいた家に、私達があたたかく暮らしているのがなんとなく肩身が狭い。その時聞くのを忘れてしまったのだけど、彼が飼っている2匹の猫は今どうなっているんだろう・・・。テレビでは、彼と同じような状況で家に戻れない人が、家にいるペットが心配で半狂乱になっている人もいた。
うちのほぼ目の前、川沿いのハイウェイで、何百人という人々が集まっていて、車が通る度に歓声と大拍手が起こる。封鎖されて一般の車は入れないので、通るのは何かしら救助に関係のある車だけ。救急車、消防車、パトカーはもちろん、レッドクロス、電話会社、大形トラックなども、とにかくみんな声援を受けている。皆、旗をふって、「THANK YOU!」や「真のヒーロー!」という大きなプラカードを作って、手をふってありがとうありがとうと叫んでいる。それが、夜中まで何時間も続いていた。
灰をかぶった鉄筋やら、めちゃくちゃにつぶれた車やらを積んだトレイラートラックが通る。
通行人が「あの灰が、僕の知っている誰かかもしれないんだ」
と言っている。ゾッとするが、事実だ。
20010911
8時48分に始まった悲劇。
一週間だけニューヨークに帰ってきていて、東京へ戻る予定だった朝。
荷物をパックして、空港へ行く前に軽く朝御飯を食べようと、ちょうど、紅茶を入れている頃でした。
何だかピーポーピーポー、そういえば救急車がいつもよりうるさいなぁ、くらいにしか気に留めず朝御飯を食べ終わり、最後の荷物の点検に自分の部屋へ帰ると、窓の外で「ウワーー!」と叫び声が聞こえた。後で解ったのは、それが2番目の飛行機がつっこんだ瞬間でした(9時3分)。チラッと外を見ると男の人がたくさん群がっているので、最初はストライキか何かが始まるのかと思った。みんなが一方を向いて騒いでいる。窓を開け、皆が見上げている方を見ると、くっきりと見えるワールドトレードセンターの4分の3くらいの高さの所からもくもくと黒い煙が上がって、真っ赤な火が燃え上がっている。「火事だよ!!!ワールドトレードセンターが火事!!」とお母さんに叫ぶと、「え!?え!?」とリビングへ走ってテレビをつけに行こうとするので、「いいからとりあえず見て!!!」と、窓から身を乗り出して見せる。「うそでしょ?!」と半信半疑でニューヨーク市のローカルチャンネルをつけると、ワールドトレードセンターが両方燃え上がっている生中継。飛行機がビルにクラッシュしたとのこと。当然、事故だと思った。「どうしようどうしよう・・・」と呟きながらも、とりあえずスーツケースを持って母親と外に出ると、大勢の人が茫然と見上げている。それが9時15分頃。その群集の中を通って、車の駐車場まで2ブロックほど歩いてゆく。あまりのことに気が動転していて、目の前の理解不能の光景に一瞬、ハハ、と笑ってしまう。引きつって。その瞬間、すれ違った女性に「what are youlaughing at?」と、軽蔑の表情をぶつけられ、かえって侮辱されたようで一瞬カッとなるが無視。自分の感情もよくわからない。
駐車場は、人で溢れ返っている。オフィスに働きに来ている人が家に帰るために一旦入れた車をまた出そうとして、ごった返している。10分ほど待って、車が出てくると、一応行ける所まで行ってみようか、と母親がハンドルをにぎる。即ラジオをつけると、信じられない事を言っている。「今、何人もがビルから飛び下りています。」イーストサイドに向かう途中、10分ほど走ったところで、ラジオから「すべてのトンネル、橋、高速道路、空港が封鎖されました。」と流れる。この時点で、日本へ帰ることも、帰った次の日に予定されていたレコーディングも、もうどうにもならないと諦めて、引き返す。そこが、よく行く仲良しの日本人オーナーのカフェのすぐ近くだったので、なんだか知ってる人の顔がとても見たくなって、寄っていくことにする。母親と二人でカフェに入っていくと、オーナーのおじさんが小さい息子さんと一緒に階段の所に座っていて、弱々しく微笑む。「とんでもないことになりましたね。」と、まだどれだけの危機感を持ったらいいのか解らないテンションでお互いポツリポツリと話し始める。おじさんは、息子さんを学校(幼稚園?)に送り届けて帰る途中で2機目の爆発を見てしまったらしく、話していても放心状態から抜け切れてない。私達は暖かいラテとパンを買って、何と言ったらいいのかよくわからない的外れな挨拶をしながら別れて、車に乗り込み再度ラジオをつけた時、興奮した声が「タワーが崩れる!崩れる!!」と叫んでいた。聞き間違いかと思いながら走り、家の付近に着くと、道路に人で溢れて通れないくらいになっている。とりあえず家の目の前に車を止める。ふとタワーのほうを見て、「え?ない?」と思ったが、ものすごい量の煙に包まれてタワーの有無さえ確認できないので、まだ崩れたことを信じずに、とりあえず家に入ってテレビをつけた。頭が混乱して、鼓動が早い。数分後、テレビの中で二つ目のビルから恐ろしい煙が噴き出して、崩れ始めた、と同時に、よく覚えていないけれど、「崩れる!!!ねえ崩れるよ!!!」と母に叫びながら猛烈な勢いで自分の部屋までダッシュして窓から勢い良く身を乗り出すと、最後のアンテナがストーンと綺麗に垂直に下がりながら灰色の煙に包まれる瞬間だった。ほんの10秒も経たないうちに、110階建てのビルが完全に視界から消えてしまった。「もうやだー・・」と泣けてきて、吐き気に襲われる。「どうしよう、うそでしょ・・・」と呟きながらそのまま母と下に降りて、マンションの外で抱き合って泣いたり、情報を交換したりしている住人達と合流する。パニックする人、泣叫ぶ人、呆然と立ち尽くす人、ラジオを片手に落ち着いて次何をすべきか意見を交わす人、苛立つ人、無表情に見つめあう人。うちの下に住んでいるおばさんは、すぐ献血しに行くつもりだ、と言う。ふと気付けば、スリッパのまま道路に立ち尽くしていました。あとはもう、ニュースの通り。ペンタゴンが襲撃され、もう一機が墜落し、貿易センターの他のビルも崩壊した。
この世の終わりかと思うくらいの煙、破片、灰。うちは、ワールドトレードセンターからは歩いて20分ほどの距離。風向きが南で、うちとは反対方向だったので、煙は全部ブルックリン方面に流れて、灰が降り注いでいるそう。うちの辺りは大丈夫。とにかく知り合いが皆無事かどうか、一日中連絡を取り合う。電話が通じにくいのでメールで無事を報告する。昼過ぎ、全交通機関封鎖で家に帰れなくなった友達3人がうちに避難しに来る。
想像したこともない出来事。映画の中だけで起こって、ばからしい、そんなことあるわけない、と思っていた出来事。それが目の前で起こった。
20010905
銀行行くついでにソーホー散歩。
空気を吸うと細胞の隅々まで酸素が行き渡る。
これが必要だったのです。
こっちはいい。
女の人達が綺麗。太ももバーン!おしりボーン!がかっこいい社会!
価値観が楽。楽。楽。楽。
たった2ヶ月の間に随分お店が入れ代わってる。
いつのまにか新しく出来たDKNYでジーンズを買う。
猫達の様子が変。ハイパーアクティブでイライラ。そうかと思えばあまあま。
空の写真は何枚撮っても同じものがない。でもどれを撮っても似たようなものになる。
1000人くらいで、同じ時間同じ瞬間にそれぞれの居場所で一気に空を撮ったらおもしろいかも。
20010904
一週間だけ、ニューヨークへ。
飛び立ってすぐものすごく揺れてまた泣く。アリーヤの事がよぎる。
うまく眠れない。
並びの席に夫婦と赤ちゃん。
赤ちゃんの顔がバカボンのパパにそっっっくり!!
鼻の下がものすごく長くて、みぞがくっきり!(<赤ちゃんのくせして龍一さんよりすごいのよ。)
いや〜似てた。ハチマキしてほしかった。
20010903
シングル「風光る」のマスタリング。
曲間を決める一瞬に一日分の集中力注ぎ込んでます。快感なのだ。
ジャケも上がってくる。
青山ブックセンターで名前の本を見つけた。ここ何十年かの名前ベスト1000があって、何通りかの漢字で「みう」があったのに、「美雨」はなかった。む〜〜。
20010902
3時頃着く。富士山は寒い。codeチームのテントを見つける。
とりあえず食べる。屋台がうれしくて色々食べる。
あまり没頭できない。あったかいチャイが幸せ。
夜明けと共に浮かび上がる富士山に感動。
毎分、色や雲の形が変化してゆく。
朝日が昇るのを眺める。来て良かった。
hoon、出番は朝九時。もう富士山は雲に隠されてる。
記者会見のように4人並んで後方にはEYEさん。めちゃくちゃかっこいい。