書くということ
少し前に、執筆を仕事とする人としゃべっていて、
毎日ネットなどで日記やエッセイを書いていると
日々のニュースとかについて自分の意見とかを書きたくなるよね、
というようなことを話したことがある。
もちろん、衝動は起こる。
世の中に起こっている恐ろしいことについて知らないはずがない。
戦争についても政治についても殺人についても集団レイプについても...
感情が沸き起こらないはずがない。
だけれど、そのことについて書くこと、発言することは、
私が意識する自分の役割の中には入っていない。
私のこころや頭の中なんて
歪んでいることも暗いことも醜いこともいっぱい入っているけれど
そのような部分を引っ張りだして人々に見せるのは
今の自分の役目ではないと思っている。
ぬかるみの中でそこだけで繋がれる人を求めて安心したり、
自分の意見を声高々に訴えようとしたり、
そんな時もあったけれど、
自分の幼いエゴを晒すことはできればもうしたくないと思う。
わざわざ読みに来てくれる人々の時間とこころを
そんなことで乱したくない。
私には希望があるし、
何度も色々な場所で書いていることだけれど、
ジョビンが生前言った、
“アーティストは世の中にマイナスになるものを生んではいけない”という
信念が、バックボーンになっている。
こうやって今書いていることだってエゴの塊といえばそうかもしれないし、
ある人々にしてみたら“ふざけるな!”っていうことかもしれないし、
何年かたって読み返したら偽善的だと自分で思うかもしれないけれど、
そのことへの責任は充分背負っているつもりだ。
私は、自分が体験することのできなかった、
他の人の大事な美しいものをそっと見せてもらうことが好きだ。
音楽、写真、絵、本、あるいは会話の中でも。
だから自分の表現方法の全ての中で、
できればその人が見ることができなかった景色を
ほんの少しでも分けることができたら、本当にうれしい。
それだけだ。