20021206
眠って起きても無かったことにはならず、見えない生活、始まる。でも少し充血は引いているような気がする。不安になったり苛立つよりも、いつもの自分の動作、身体に染み付いた感覚を信じてみようと思う。身体と話しながら、自然に自然に。だが、紅茶をいれるつもりでポットにコーヒー豆をいれそうになって、自分で笑ってしまった(同じ色なんだもん)。小さい頃、これよりも視力の弱い母が(裸眼で)作ってくれた朝食のサラダに輪ゴム入ってたのはしょうがないことかもしれないなぁ...。
兄とブランチを食べにTHE ADOREへ。
弱視のまま外を歩くのは怖い。おそるおそる。これからは、道を歩いていてすごく目つきが悪い人がいても「なに見てんのよ」と思っちゃいけない、ってことね。歩くので精一杯な人かもしれないからね..。
でもいったん覚悟を決めると、光が散らばって、輪郭はぼやけて、世界はキラキラしている。人々の表情も見えないし、そういう意味ではすごく気が楽だ。自分の中の声とかがよく聞こえる。ちょっと視点をずらすということだ。(たとえばいまこうやって書いている原稿も、眼鏡をすれば文字が意味を持つけれど、はずせば<白い四角いスペースの中のぼやけたグレーの塊>でしかない。)そういえばhiromix達とこの間、もしStevie Wonderが見えるようになったら、世界に絶望してしまうかなぁ、と話してた。今の彼の世界は見えない故の美しさ?
Virgin MegastoreでU2とBjorkのベスト(今さらですが..)など、FUTAはStevie WonderとParl McCartneyなどを購入。世界中のLOST PETの張り紙を集めた写真集を見ていて、危うく泣きそうになった。あと、Kurt CobainのJOURNALを立ち読み。奈良さんの、私の大好きなスケッチ集のような、ノートの紙をそのままプリントしてあるような素材。受け取る側としては、もう存在しないあんなに特別な人の頭の中を覗きたいことは確かだけど、だれであっても死んだ後にこれほどまでにプライベートなものを外に出されてしまうのはちょっとこわい。自分の十代の頃の詩ノートとか、今のうちに処分してしまおうかと思った。「死んでも見せたくない」ものは本当に死んでも見られたくないのだ!
パソコンに向かって原稿を書いたり、一点に集中している時は眼鏡をかけても比較的大丈夫なんだけど、歩いたり行動しようとすると、目がついていかず、すぐ気持ちワルくなってしまう。目の機能というものがすごく解るようになってくる。一つ一つの機能がいつも絶妙なバランスで成り立っているということを感じる。見えないと、他で補おうとしたり、逆に負担をかけないようにしたり、勝手にしてくれている。目の機能に無意識に合わせているのか、全体の動作が遅くなるし、いつもと同じことをしていても4倍くらい疲れる。
でも「なんで見えないんだよ!」という態度でいるよりは、見えない中で見える、感じることはたくさんあるかもしれないから、なるべく楽しもうと思う。少しでも良くなれ〜、と思いながら目薬をさしたり、寝る前にゆっくり目のツボを押してみたり(やっぱり激痛!)。
兄がわざわざ味を少し変えて残していってくれた昨日のスープで夜ごはん。
前にPCが壊れていた時に手書きで書いた、ユリイカのbjork特集の時の原稿が書類の山から出てきた。保存のためマックに打ち直していたら、それを書いた日付けが12/07/01となっていた。ちょうど一年前。今日ベスト買ったばかりだし。偶然とはいえ。


The Adoreでコンティネンタルブレックファスト。ここのクロワッサンは絶品!ジャムも最高!